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石狩の「これ,なぁ~に?」解答編

2012.05.16



AA
2007.05.23
石狩湾新港・石狩放水路脇の市民風車かぜるちゃん
かぜるちゃんは,より海に近い側に立つかりんぷうとともに,2005年3月から運転が開始された。私自身はさほど興味もなく,風車が回っているんだぁ…くらいの遠くの風景として眺めているだけだった。
2007.05.20,初めてかぜるちゃんの真下から眺めてみて,その威容にしばし見とれる。以来,足しげく風車たちの写真を撮りに行くことになる。
AB
2008.06.08(更新)
花畔大橋主塔
写真が目的で花畔大橋に初めて出かけたのは2007.01.27。最近(この項を書いた時点)では2008.01.07。この間,何度足を運んだことか。
斜めに張られた左右11本ずつのハープ型のケーブルは,いつだってそれなりに絵になる光景(対岸,生振側から)だが,真横,の反対,真縦?,つまり道路の進行方向から撮ってみたくなった。大型トラックが頻繁に疾走する片側3車線の道を横切って,中央分離帯までたどり着くのは命からがら。
[追記] 主塔の写真は当初 2007.06.25 撮影だったが 2008.06.08 撮影に差替更新。
AC
2007.06.27
ニセアカシア(ハリエンジュ)の散った花びらで敷き詰められた絨毯。
6月の後半になると,マメ科特有の形をした白い花びらで,樹下が埋め尽くされる。
石狩でもニセアカシアは多く植栽されている。だいぶ前のことだが,このトゲが刺さって自転車のタイヤがパンクしたことがある。
ここは花川南防風林(ななめ防風林)を横切る道道石狩手稲線歩道
強い風が吹くと,絨毯はたちまち消えてしまう。
[追記] ニセアカシアとかカモガヤなどの外来植物は,ススキなどとともに「はまなすの丘公園」の海浜植物群落に侵入して景観を損なう招かれざる客。石狩浜海浜植物保護センターでは,毎年これらの除去作業を行っているという。
AD
2007.07.16
石狩川河口
ヴィジターセンターと石狩灯台から「はまなすの丘公園遊歩道を歩く。砂浜に出る。ハマボウフウを眺めながら,石狩川が石狩湾と出合う河口まで進むと,砂の上にたくさんのクラゲが打ち上げられている光景を見ることができる。
ごくありふれた種類の透け透けミズクラゲに違いない。大きいものでは20センチを超えるものもある。クラゲだけでなく,様々な漂着物を採集するビーチコーミングも楽しい。ささやかな収穫物:石炭木片とクルミ
川と海の出会う場所からの北石狩衛生センター
[追記] 2008.07.26 制作者不詳のモニュメント。花も終わり種子熟成中のハマボウフウ
[追記2] 2009.11.06 ときには巨大クラゲも。
AE
2007.07.22
2007.07.22,矢臼場から分岐するかつての石狩銭函道路の痕跡を自転車で辿ったみた。やがてゴミが散乱しはじめ,道はなくなり,行き止まりとなる。
2線と3線の中間あたりと思われる。
不法投棄された大量のゴミの脇でマットを敷いて,上半身ハダカの若いモンがうつ伏せに寝て甲羅干をしていた。
暑い日だった。コワかった。
[追記] 柏の保安林沿いに3線から2線方向へ300mほどで行き止まりとなるこの道も,石狩銭函間道路の名残りなのだろう。(2008.04.23)
AF
2007.08.22
オタナイ発祥之地の碑の横に並ぶ方向台
新川右岸河口近く,かつてオタネ浜と呼ばれていたあたりの砂丘(といっても草むら)の上に碑が立っている。
そこまでの道はほとんど獣道に近いもので,また乗り捨てられた車が居座っていたりして,たどり着くには探検家気分。
現在の市域でいえば小樽市ということになるが,碑文にもあるように,もともとは旧樽川村の原点でもあり,想いは断然石狩市内。
AG
2007.08.30
樽川埠頭の駐車場の北側,中央水路沿いにまっすぐ遊歩道が整備されている。「ハマナスプロムナード」というらしい。
行き止まりに立っているのがこのモニュメント
小樽市が建てたのか,新港管理組合が建てたのか,定かではない。つまり説明板もなにもないから,なにを意味するのかも不明。さらに,タイルがかなり剥がれ落ちていてアブナイ。
冬,対岸の花畔埠頭から樽川埠頭モニュメントを望む(2008.01.23)。
AH
2007.08.31
石狩川河口渡船場の跡。
石狩川河口渡船場は,1978年に120年の歴史を閉じた。
かつてこの界隈には,何隻もの廃船(川の博物館展示)が打ち捨てられていて,荒涼たる風景を醸し出していたが,いまはない。
対岸若生町側には「旧八幡町渡船場跡→」の標識が立っているが,船場町側には標識も案内板もなく,寂しすぎる。
[追記] 2010.05.11 しばらくぶりに訪れると,鋼管のフェンスで囲われていた。危険だから近寄るな,ということなのだろうが,アブナイのはここだけに限らない。なんとも拒絶的かつ無味乾燥で素っ気ない。この地の説明を表示するのが先だろう。
こんな柵を作るより,存在しもしない公衆便所の看板を撤去することをおすすめしたい。
AI
2007.09.14
テングダケ。
石狩放水路脇の緑地,開発局の小型風車の近くの松の下にニョキニョキニョキニョキ。秋には毎年見られる光景なのだろうか。
場所は違うが,新港地域の草むらをうろついていると,こんなのとか,こんなのとかにも出会う。食べられるのやら食べられないのやら。
2008.09.06 はまなすの丘公園の四阿(東屋)近くでもテングダケ発見!
AJ
2007.09.22
石狩灯台の内部の階段を激写。
2007.09.22,さけまつりの日千人鍋でつくる石狩鍋
そうではなくて,石狩灯台の内部が一般に公開されるという話を聞きつけ,自転車で駆けつける。風の強い日だった。
灯台の望楼から厚田方向を望む
階段を下りるときもかなりコワい。
AK
2007.10.07
北石狩衛生センターの煙突。
八幡町から望来へと続く海沿いの道,知津狩川を渡った先に建つ。石狩浜からも遠望することもできる大きな施設である。
「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」「燃えないごみ」「粗大ごみ」を処理しているという。(「資源物」はリサイクルプラザで処理)
敷地内に,野犬たちを慰霊するものと思われる石碑が見えた。
[追記] 2011.08.17 はまなすの丘から望むこの建物は決まりきった風景のひとつ。だが,石狩川にその影を落とす姿はとても希少で美しい。
[追記2] 2011.12.09 冬の夕焼けに浮かぶシルエット。
AL
2007.10.19
岡崎文吉博士考案の単床ブロック
かつて,河床や河岸の弱い部分の浸食を防ぐために敷き並べられたもの。
陳列されている場所は,川の博物館の脇の石狩川歴史の森の中。
ここにあるのは札幌大橋下流の美登位から撤去されたものだという。
まだ護岸に現役で働いている単床ブロックは,茨戸の観音橋の周囲でみることができる。
[追記] 2009.03.05 より広範囲に施工されている単床ブロックを石狩河口橋下左岸でも発見。しかもところによっては極めて整然と保たれている。
1898年(明治31年)の大洪水の衝撃後,単床ブロックなどを用いた石狩川の治水事業が本格的に始まったのは1910年(明治43年)からである。
AM
2007.10.28
石狩放水路脇の市民風車・かりんぷうの内部。
2007.10.28,かりんぷうにクレーンが寄り添っている。何の工事なのか訊ねると,冬に備えて落雷対策のチェックだという。雷は風車にとって手ごわい敵だったのだ。
入口ドアが開いていたので,頼んで中に入らせてもらった。真上を見上げる。漆黒の天国まで届くかのように,はしごが屹立している。
AN
2007.11.05
2007.11.05,望来川沿いの道を望来ダムへと向かう。
ダムの手前で通行止めになる。赤錆が出るほど年季の入った看板である。いつから工事中なのだ?そしていつ終わるのだ?
その道路わきになぜか,もみ殻が小山のように積み上げられていた(投棄?)。
ダムへ行くのを諦めて,林道・古潭越線を走って古潭川へと抜ける。
[追記] この林道の出口道道11号月形厚田線。(2008.03.13)
[追記2] 再び訪れたのは2008.06.14。もみ殻の山には雑草の芽が。通行止めゲートをくぐってテクテク10分ほど上ると望来ダムに到達。しかしすべて立入禁止で湖には近寄りがたし。おまけにデジカメのバッテリー切れ。帰る。
[追記3] 2008.07.02 古潭越線完走。前回は古潭川に架かる古潭1号橋を渡ってすぐ左折して231号線に向かった。今回は逆に右折し,古潭2号橋古潭3号橋を経て,最後に厚田川に架かるやまなみ橋を渡り道道11号の出口に出た。全線舗装で気持ちがいい。
[追記4] 2008.09.20 シーズン到来。サケの溯上を見ようとやまなみ橋まで出かけた。まったく見えない。雨が降らないせいだという。ねばってねばって3,4匹確認。淋しい魚影
[追記5] 2009.05.13 望来ダム。"国営かんがい排水事業・高岡シップ地区"で平成9年度竣工となっているが,相変わらず工事中につき立入禁止もみ殻の山も相変わらず。
[追記6] 2010.04.10 立入禁止の札だけ真新しくなっていた。[[関連]]
[追記7] 2012.05.09 久しぶりの望来ダムは洪水吐から溢れた水が流れていた。取水塔もみ殻の山がなくなっていて驚いた。焼いたのだろうか?
AO
2007.11.09
浜益・岡島洞窟遺跡の上の崖に眠るライオン。
2007.11.09,洞窟研究家?みたいなおじさんがいて,洞窟まわりの壁画についていろいろ説明してくれる。「ほら,巨人の足下にコロボックルが見えるでしょう…」???
2007.12.21,再びライオンに会いに行く。洞窟まわりはすでに雪。崖のライオンは確認できす。もしかしたらこのライオンは,秋の一時期にしか姿を現さないのかもしれない。
[追記] 雪が融けたら眠たそうな顔を出していた。(2008.03.13)
[追記2] 春のライオン。(2008.04.21)
[追記3] 初夏のライオン。顔にカビでも生えたか…?(2008.05.22)
[追記4] 盛夏のライオン 隠遁の術。下には落石注意の看板が。(2008.08.05)
[追記5] 久々の登場初秋のライオン (2009.09.20)
[追記6] まだ雪化粧のライオン (2010.03.24)
AP
2008.01.08
新川河口。右岸側が落ちて通行不能のオタルナイ橋。
夏に見たときより,落ちている状況がよりはっきりと分かる。
この日(2008.01.08),さらに進んでオタネ浜に出ると,轍はあるものの人っ子一人いない。これ幸いと写真を撮っていて大波を食らう。慌ててコケる。だらしなく寝そべった私の上を波が通り過ぎ,そして引き返していった。さらわれなくてよかった。
[追記] 2008.06.21 左岸からの眺め。橋の上は行き止まり(あたりまえ)。
[追記2] 2009.06.03 久々右岸から。はげしく接近3級基準点もある。
近くには,新川掘削により切り離された,旧オタルナイ川の名残の沼がある。ちょうどキショウブの盛りで,小さな群落があちらこちらに見られた。
AQ
2007.07.24
浜益・千本ナラに懸けられたたくさんのしゃもじの願懸け。
国道231号から逸れて,送毛から毘砂別へと抜ける旧道の中ほどにある3本のミズナラ。樹齢800年以上。新,日本名木100選にも選定されている。
厳かな空気に包まれて,ミズナラたちの深い息遣いを感ぜずにはいられない
ここから毘砂別に向かって進むと展望台がある。雄冬岬方向の日本海や黄金山などを眺望することができる。
[追記] 2008.04.21 雪も消えた。送毛側から走る。千本ナラの威容エゾエンゴサクの群生に見惚れる。しかし油断禁物。毘砂別の集落の手前で,無情にもイキナリ通行止!それはないべさ。
[追記2] 2009.05.26 送毛山道(毘砂別送毛線)。展望台からの浜益岳,浜益御殿,雄冬山。3本の千本ナラ ()。
[追記3] 2011.05.09 2年ぶりの千本ナラ ()。しゃもじは少ない。展望台へと向かう途中からの黄金山と,展望台からの浜益岳,浜益御殿,雄冬山
AR
2007.09.26
文字通り "ISHIKARI" の大看板。
石狩湾新港中央水路に入港する船舶に,"石狩"をアピールするのだとか。どれほどの効果があるのかは定かではない。海路からのお客さんへの表札,というところか。
花畔埠頭から臨港道路・中央花畔線でやや中央埠頭へ向かって進んだ左側海岸緑地に作られている。近くには津波警報装置と,ネームプレートの落ちた警報局舎がある。
[追記] 2011.04.12 久しぶりに大看板。警報局舎のネームプレートは落ちたまま。おまけに,二重扉の外側は開いたまま。こんなんで,津波が来たとき本当に警報が発せられるのだろうか。。。
AS
2008.01.20
結氷した茨戸川での,ワカサギ釣りのテント
平日だった4日前はイマイチの賑わいだったが,日曜日(2008.01.20)はひしめいている
川の博物館脇。茜橋の上から。(ついでに,夏の茜橋)
国道231号,無法駐車の列。北向き約400m,南向き約500m。
サーモンファクトリーの「ありが塔」からも眺めてみる
[追記] 3週後の日曜日(2008.02.10)はもっと凄かった。無法駐車の列はそれぞれ倍の長さの800m,1000m。川の上は花盛り
規模は違うものの,茨戸周辺(2/10),真勲別川(2/20),放水路水門近く,生振大橋周辺などなどでも,懲りない光景を散見できる。
[追記2] ほとんど融けている茨戸川に取り残されたこのテントはいったい…?(2008.03.19)
AT
2008.01.23
ふたたびワカサギ釣りの,氷に開けた穴。釣り糸が見える。ある人の釣果
この日(2008.01.23)は平日にもかかわらず,幾分気温が上がって賑わっている。
川の博物館前から茨戸川の上に下りて急接近を試みる。水深は1~2m,氷の厚さは10cmくらいだという。無秩序に釣り穴が開けられていて,ほんとに大丈夫かいな?と思う。
晴天の茜橋風車
[追記] 後日,また覗きに行って釣り人と歓談。テントの中を写す。(2008.02.06)
[追記2] 2009年情報 (2009.01.13)
AU
2008.02.25
氷結した雄冬岬白銀の滝白銀歩道橋から望む。氷柱が横に広がり下部は雪で覆われ,夏の白銀の滝とは様相が異なる。滝は凍結していても,トイレはロードヒーティング,オートドア,水洗で快適。
滝は秘岬雄冬岬の突端より増毛側にあるが,ここはまだ石狩市浜益区内。もう少し北上すると集落が開ける。かつては陸の孤島と呼ばれた増毛町雄冬である。集落近くの高台に雄冬岬岩石公園と展望台があり,急な坂道を登ると日本海を一望できるが,さすがに冬は無理
雄冬岬トンネルのひとつ手前,タンパケ覆道の出口付近の海面では,打ち付ける荒波が凍りついた岩が美しい。
[追記] 2008.03.13 周囲に氷柱は残るものの,ひと筋の滝がとうとうと流れ落ちていた
[追記2] 2008.05.22 初夏の白銀の滝。暑寒別の雪解けのせいか流量は多い
[追記3] 2008.12.06 白銀橋補修にともなって白銀の滝近辺は工事中。国道開通記念碑(碑文)の位置も動いたようだ。
ここから増毛方向300mほどに雄冬橋が架かる。この沢(電話下川)の上流に銀河の滝を見上げることができる。この日は風が強く,滝がひらひらたなびいていた
[追記4] 2009.01.22 補修工事完了。新しくなった白銀橋橋名板。この沢は"弐の滝川"という名であることを再認識。ということは"壱の滝"もあるはず。どこにあるのだろう?
工事完了とともに国道開通記念碑ももとの位置に戻されたようだ。滝周辺の氷柱は成長しつつあるものの,暖冬のせいか滝そのものは変らずに流れ落ちていた
[追記5] 2009.04.05 早春の白銀の滝。雪解けが進み水量も豊か。
タンパケ覆道北側出口の駐車場にも国道開通記念石碑が置かれていた。すぐそばタンパケの沢に架かる橋は,北向きにはタンパケ橋,南向きにはニシン橋という2つの名を持つ珍しい橋。
[追記6] 2009.09.20 午前9時過ぎ,逆光の滝()と,午後3時過ぎ,陽を受ける滝()
[追記7] 2010.03.02 今年初めての雄冬岬。時すでに遅し。白銀の滝の氷結は緩み,流下する水量は増えつつあるようだった。そしてこちらは銀河の滝
[追記8] 2011.01.20 ふと思いついて滝を見に行く。連日の大雪と寒波にもかかわらず,滝は流れ落ちていた。(全景上部違った角度から)
[追記9] 2012.01.31 いくら寒くても,1月中はすっかり氷結することはないんだね。この日の白銀の滝タンパケの岩
[追記10] 2012.02.22 そろそろ完全氷結を期待した白銀の滝。氷の面積は広がったもののまだしぶとくと流れ落ちていた。銀河の滝はすっり氷結
AV
2008.03.26
石狩放水路河口の望洋橋。車道橋と分離された海側の人道橋中央にへばりついているこのボートは,実は石狩湾新港の展望休憩所である。が,いたるところに落書きされていて情けない。
大雨などで石狩川が増水したとき,茨戸川運河(志美運河, 昭和9年開削, 河川法上では"茨戸川")を逆流して茨戸川流域に洪水被害をもたらすのを防ぐために,新たに開削されたのが石狩放水路である。(昭和51年着工,57年完成)
通常は石狩放水路水門(昭和56年竣功)が閉じられ,運河水門(昭和56年竣功)が開けられている。石狩川増水時には運河水門を閉じ,放水路水門を開いて茨戸川の水を直接石狩湾に逃がす。
両水門の開閉を遠隔操作で制御しているのが,川の博物館(石狩放水路管理センター)である。運河水門は年に数回開閉されるが,放水路水門は平成14年以来一度も開けられたことがないという。
[追記] 2008.08.13 たまたま通りがかると,石狩放水路の様子が変。水門が開けられていた。6年振り,ということだろうか? [番外編参照]
2008.09.06 シートで覆われた右の水門
2009.01.01 右の水門工事は完了。続いてシートで覆われた左の水門
2009.03.04 塗装が完了,朝日に輝く水門と,水門の日の出
AW
2008.04.05
ミズバショウ群生地,マクンベツ湿原に設けられた観察用の木道。2007年(平成19年)3月設置。今年(2008年)初めて訪れたのは4月5日。仏炎苞がようやくチラホラ開き始めたところだった。
木道はおよそ400m,石狩川の川岸で行き止まり。同じ木道を引き返すことになる。ハンノキ林ヨシ原ヤナギ林と,途中の景観はくっきりと3つに変化し,おもしろい。ミズバショウは,ハンノキ,ヤナギの林間の樹下に生育している。
木道脇にはサルノコシカケも散見される。
ヨシ原からの石狩河口橋と,行き止まりからの石狩河口橋。
[追記] 木道といえばはまなすの丘公園遊歩道も捨てがたい。近頃老朽化が進んでいるが,この春(2008.04.20)にはほぼ修復されていた。
[追記2] 2008.04.21 夕方再訪足元遠景も素晴らしい。岸辺のヤナギも咲いていた。この日,対岸では野火があったようだ。
[追記3] 2008.06.03 さすがに静まり返った木道。ミズバショウも巨大化
[追記4] 2009.03.28 早春の木道。入口に真新しい湿原の看板と駐車場には大きな説明板。5mmほどの厚さの薄氷からミズバショウたちが顔を出すヨシ原からと,行き止まりからの石狩河口橋。
[追記5] 2009.04.03 氷も解け顔を出した苞も見られる。
[追記6] 2009.04.11 マクンベツ地区のゴミ拾いに集まった人たち。これだけのゴミが出て,奇麗になった木道と,そろそろ見頃なミズバショウ
[追記7] 2011.04.12 積雪の深かった今年のマクンベツ湿原。まだシャーベット状の氷と雪に閉ざされている。水位もかなり上がっていて,ミズバショウは水の中にわずかに見られる程度。木道はに覆われ,倒木が行く手を阻む。ネコヤナギだけが春を謳っていた。
[追記8] 2011.04.12 一方,冬期延長工事が行われていたはまなすの丘公園の木道。ほぼ完成
[追記9] 2011.04.21 木道の雪は消えた。倒木は相変わらず。水位が下がってミズバショウも姿を現す開き始めた苞は2,3ヶ見られる程度。一昨年に比べるとおよそ3週間遅れか…
[追記10] 2011.04.26 ようやく3分咲きくらい。中には見事な苞も。
[追記11] 2012.04.25 雪解けが遅れたが,元気に顔を出したミズバショウ。あちこちで苞を開いている。木道行き止まりからの阿蘇岩山と,ピンネシリ,カムイシリ
[追記12] 2012.04.28 急激な雪解けによる石狩川の増水を受け,木道もミズバショウも水没
AX
2008.04.21
旧浜益村川下・史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡に立つ標柱。
幕末,ロシアの南下に危機感を抱いた幕府は,1859年(安政6年),東北6藩(仙台,秋田,荘内,盛岡,弘前,会津)に蝦夷地を分与し,開拓と警備の任に当たらせた。
浜益から天塩までの警備の命を受けた荘内藩は,1860年(万延元年)ハママシケにおよそ200の人員を派遣,警備・開墾に当たらせた。領地経営の拠点として構築されたのが陣屋*である。1867年(慶応3年),大政奉還により幕府が倒れ薩長との戦いが切迫し,翌1868年(慶応4年/明治元年),荘内藩は武士,農民700人以上を急遽引き上げることになり陣屋は放棄される。
現在大手門(後ろから)のみ復元され,長屋跡などの標柱が立てられている。
陣屋跡への途中に川下八幡神社がある。キバナノアマナが咲き乱れる境内には,鳥海山,湯殿山,羽黒山の荘内(庄内)ゆかりの霊山の名を刻んだ石碑がある。陣屋で暮らした人々の望郷の思いが偲ばれる。
* : 浜益村教育委員会発行"史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡"より
[追記] 2008.05.23 浜益川(古い絵図**では黄金川とある)から大金を投じて掘削したので千両堀**と名がついたともいわれる運河も,いまはほとんど原形を留めない(下のほうは灌漑用水路として健在?)
** : はまます郷土資料館所蔵展示物より (説明文)
[追記2] 2011.04.09 しばらくぶりに訪れると,霊山の石碑は台座の上に鎮座していた(礎石の碑文)。大手門にはまだ雪が残る
AY
2008.04.29
(動くGIF)
八の沢鉱業所跡の石油滲出現場。
高岡から五の沢林道に入る。五の沢池樹間に見ながら進む。やがて石狩油田八の沢鉱業所跡に到達する(記念碑碑文)。ここでは1903年(明治36年)以来1960年(昭和35年)まで石油を採掘していたという。1948年(昭和23年)当時の見取図が掲げられている(去年見た見取図よりいつの間にかあかぬけしている)。八の沢小学校跡の門柱石碑も並ぶ。崖をよじ登ると,かつて住宅があったと思われる原っぱにキクザキイチゲの群落。林道をさらに奥に進むと伊夜日子神社跡石碑がある。それより少し手前に純石狩産原油がいまでも滲出している現場がある。それはボコボコと音をたて,湧き出しているといった方がむしろ正しい。標本として採取してきたのはいうまでもない。
なお五の沢林道を進むと当別町に入り弁華別に抜ける。
いしかり砂丘の風資料館には石狩油田の模型が展示されている。本物みたいに動くからすごい。
[追記] 札幌・中島公園にも伊夜日子神社が現存。いずれも,新潟・弥彦神社の天之香具山命を分祀している。天之香具山命は石油開発の守護神でもあるとのことで,うなずけるものがある。(2008.06.17)
[追記2] 札幌拓北公園三角点"伊夜日子"が存在することを知った。どうやらかつて「拓北伊夜日子神社」があって,その地との関わりがあるのだろう。いまは篠路神社に合祀されていると由緒にある。さほど遠くない茨戸地区でも石油が採掘されていた歴史があるが,なにかしら関連があるのだろうか? (2008.09.02)
[追記3] 2009.05.13 久しぶりに林道五の沢線に入った。5/24は通行止とか。"スポーツ競技会"じゃなんのことやら分からない。鉱業所跡を見て,原油湧出現場へ向かう。迫力を増したか?
[追記4] 2010.07.17 1年ぶりの五の沢林道は両側からイタドリなどがせり出し道幅が半分ほどになっているところもある。原油地点も草は刈られていず伸び放題。背丈ほどある草むらを掻き分けてたどりつく。心なしか元気がない
[追記5] 2010.06.25 恒例?1年ぶりの油田跡。知る人ぞ知るで,しっかりと踏み分け道滲出現場も相変わらず。
[追記6] 2012.05.09 春の油田跡。見晴し良好元気
AZ
2008.05.01
厚田公園展望台"恋人の聖地"のフェンスに取り付けられた南京錠
個人的には,千本ナラのしゃもじの願懸け同様,よく分からない。
厚田資料室わきのだらだら坂を,両側たくさんの句碑歌碑に出迎えられながら上る。頂上にごつい展望台があり,誓いの鐘も。ほかに,三等三角点"厚田"もある(標高86.43m)。
しかしながら,目の前にふてぶてしく居座るスキー場リフトの支柱,眼下には意義不明の人工海岸。これらは恋人たちの目にも興ざめではないのか?
ishikari あいロードプロジェクトなる企画が進行中ということで,ここ"恋人の聖地"とならんで,浜益ふるさと塾(適沢コミュニティセンター)裏手,ふるさと公園の"ラバーズ・オーシャン"も売込み中!
[追記] 2008.08.05 適沢コミュニティセンターの案内看板には"浜益ふるさと塾"の文字はなかった。玄関も鎖が巻きつけられ使われている気配はない。石狩と合併して"ふるさとの創生"はどこへ行くのだろうか。
唐突ながら,ふるさと公園眼下の磯で泳ぐ人
[追記2] 2009.04.05 ふるさと公園から望む愛冠岬のぼやけた馬雪(若干補正処理済)。
[追記3] 2009.04.17 1年ぶりの恋人の聖地。リフトの支柱が撤去され,コンクリートの基礎だけが残されていた。相変わらずの人工海岸はともかくとして眺望はよくなった。南京錠のフェンスも更新されたようだ。
[追記4] 2010.02.13 厚田公園での『石狩冬まつり』今年の目玉は全長は315mの雪のすべり台恋人の聖地の南京錠フェンスは解説つきバージョン展望台からまつり会場を見下ろす
[追記5] 2010.03.24 雪に閉ざされたふるさと公園モニュメントのまわりには足跡もない。馬雪も一週間ほど早すぎか…
[追記6] 2010.04.26 夕陽を追いかけてモニュメントまで来た。馬雪は子馬になっていた。
[追記7] 2010.07.31 適沢コミュニティセンターは"cafe gull"に。案内看板も模様替え。
メニューの品揃えは寂しいが,浜益のかーさんたちの手作り感がいい。
[追記8] 2011.04.09 期待して来たふるさと公園。しかし馬雪はまだメタボ。単なる雪の塊。
[追記9] 2012.04.19 懲りずにふるさと公園去年より馬らしいが,前足の下あたりがイマイチすっきりしない。
BA
2008.05.08
石狩斎場に隣接する親船墓地駐車場緑地にある電子基準点"石狩"。
国土地理院により設置されている高さ5mのステンレス製のピラー(設置年度により形状が異なる)で,頂部のアンテナでGPS衛星からの電波を常時受信し,得られた情報を各方面での利用に供しているという。地表の基礎部には円形の付属金属標も見られる。
近くの墓地内高台には,二等三角点"石狩"(標高10.14m)が置かれているが,ヤブの中,発見するのは大変だった(^^;。
石狩市域の電子基準点は,ほかに厚田,浜益にも設置されている。
BB
2008.05.29
石狩浜の砂丘にできた巨大なクレーター①。
捨てられているタイヤの大きさと比較してみるとよく分かるが,深さは5mにも及ぶだろうか。底まで下りて見上げてみる
こんな穴ぼこが自然にできたわけでもないし,隕石が落下したわけでもない。
愚かものたちによる地球への乱暴狼藉の痕跡である。
四輪駆動車,サンドバギー,オフロードバイクなどの走行により,裸地になり島状になり,やがてすり鉢状になった大きな穴は数十ヶ所確認されている。車両進入禁止の柵やロープを壊したり切ったりして侵入する車が,いまでも後を絶たない。
石狩浜海浜植物保護センターでは自然の回復,保全に取り組んでいるが,こうして破壊された植生は,景観は,はたして元に戻るのだろうか。
[追記] 2008.09.06 ①からたかだか3ヶ月。クレーターの中の島が崩れてきているのが分かる。近くのキタキツネの巣穴もいつまでもつか…?
[追記2] 2010.09.16 その後のクレーター。侵入する車両はいまだに後を絶たない。
[追記3] 2011.04.29 さらに崩れているクレーターの中の島
BC
2008.06.02
(動くGIF)
(2008.06.28のGIF)
石狩放水路エアレーション
石狩放水路水門は通常は閉じられている(この6,7年開けられたことがない)ので,流れが滞り酸素不足となる。そのため強制的に河床に空気を送り込むエアレーション設備が設置され,好気性バクテリアを活性化することによる水質の浄化がはかられている。
エアレーション設備は放水路水門近く,第二放水路橋近く,茜橋近くの3ヶ所。
稼動するのは6月から9月。5月29日に眺めに行ったが動いていなかった
エアレーションの動力源として期待された小型風車は,時に思い出したように動いていることはあっても,この日は予想通り止まっていた
もうひとつの水質浄化といえば紅葉山公園
BD
2008.06.03
石狩河口橋主塔
石狩河口橋は石狩川水面上の斜張橋と,その両側の河川敷部分に桁橋連結合成されている。
斜張橋の主塔は2本。ケーブルの形式は放射型。
1976年(昭和51年)10月完成。1978年3月,石狩川河口の渡船に終止符が打たれた。
全長1412.7m。長い!主塔の真下から見上げる。大型車が通ると激しく揺れる。川面を渡る風はひときわ強い。コワい。
秋,志美の田んぼから遠望する。
BE
2008.07.12
2007年9月に立ち上がった第3の市民風車内部
これまで何度かトラブルがあった(2008.05.13)ようだが,2008.07.12,名前がついてお披露目の催しが行われた(舞台裏)。物見高いワレワレ,つまり女房と私は当然にもママチャリで駆けつけた。(雨に打たれて爽やかに濡れて帰った)
さてその名は「かなみちゃん」。「かぜるちゃん」,「かりんぷう」に続いてまたもやコダワリの『か』。
内部も見学できるとあって早速覗かせてもらった。初めてエレベータを装備。2人乗りで,てっぺんまでおよそ5分かかるとか。さすがに乗せてはもらえず残念。仕方ないので,エレベータのとか,さらにその上を覗いてみたりとか。。。
かなみちゃんも真下から見上げてみる。
3機並んだ市民風車(2008.06.02)
BF
2008.08.05
なんの変哲もない公衆トイレである。しかしピカピカ。
近ごろはどこに行ってもトイレが奇麗であることが観光地の絶対条件。でも,である。デコボコ林道(たまたま居合わせた森林管理局の方の話では,この地区の国有林林道で一般に開放されているのはここだけとのこと)の行き止まりの山奥にあるにしては不釣合いなほど,完璧な水洗トイレなのである。
浜益・黄金山登山道入口休憩所
管理しているのは黄金山岳会。並の努力ではこうはならない。さる会合でお会いした事務局長氏の,屈託ない笑顔を思い浮かべる。
この日は朝から浜益の民有林林道を訪ねた。幌床丹線千代志別線浜益実田線竜神沢線など。ぐるっと廻って気がつけば振り出しに戻っていたり,改修工事中とか草茫々とかで引き返したり。これで帰るのは,いかにも不完全燃焼。
真夏日の完全燃焼を求めて黄金山を目指す。国道451号実田橋(新橋架け替え工事中)を渡ってすぐ左折。案内標識があってここからおよそ4.2km。1時過ぎ登山口(案内図)。確認だけのつもりで新道・旧道の分岐点まで登る。すでに熱中症寸前。水場で渇きを癒して生き返る。登頂の日は果たして来るのか。
帰路,樹齢1500年と推定される"黄金山のイチイ"を訪ねる。圧倒的な存在感下手な写真で,その迫力を伝えることは難しいと悟った。
[追記] 2008.08.26 再び吸い寄せられるようにイチイの雄姿を見に行く。やっぱり凄い。凄いといえば,黄金山登山道入口休憩所トイレも相変わらず凄い。チェック表もあるのだ。
[追記2] 2009.09.11 2年越し念願の黄金山,夫婦仲良く?発登頂! 新道ササ原から見上げる岩峰。急な斜面の命綱。再度の出会いの分岐点。這いずって進む両側絶壁の岩尾根。いったん下り再度よじ登って主峰頂上三角点浜益川と日本海増毛山地は雲の中。上りはきつくて,下りはつらい。
[追記3] 2010.03.02 冬の黄金山
[追記4] 2011.05.09 登山道入口へと向かう。ちょうど中ほど,兼平沢に架かる春香橋を渡ってすぐ,道路は雪に閉ざされていたおととしの5/6には登山道入口にもまったく雪は残っていなかったのだが…
BG
2008.08.29
花畔団地(花川北)北西縁のポプラ並木晩秋早春
石狩手稲通り沿い排水の団地側に,団地造成開始とともに植栽されたものと思われる。道路の反対側から撮る(手前が石狩手稲通りのイタヤカエデ並木と背の低いモンタナマツ,後ろの高木がポプラ並木)。
ポプラは花川通りから中央通りをまたいで花川北防風林までのおよそ1.1km。防風林以北は北陽通りをはさんでイタヤカエデがおよそ0.6km植えられている
もともとは冬の季節風対策,あるいは幹線道路からの騒音対策が目的だったと思われるが,ポプラの樹間には踏み分け道ができて,格好の散策路となっている。(花川北防風林で行き止まり)
中央通りのポプラの近くには,金属標の二等水準点(標高6.1m)が設置されている。区域界も見つかる。区域界は歩道を歩いていると珍しくないが,これほどきちんとした水準点を見つけられるのは嬉しい。
なお,石狩市の並木(街路樹)についてはこちら『収集癖』をどうぞ!
BH
2008.06.02
紅葉山公園に浮かべられた
これらの筏にはノハナショウブ,タチギボウシなど,主に石狩浜に育つ湿性植物が植え込まれている。水質浄化実験の一環として,これらの植物が池から養分(リン,窒素など)を吸い上げて固定する能力を利用しているとのこと。石狩市環境課,北海道工業大学,石狩浜海浜植物保護センターなどが協力して進めている。ときどきカモたちのねぐらや餌になったりするとか…
2008.09.04 筏は増えていて,大きな筏は花盛りだった。
公園内には小高い山もある。地形的には花畔砂堤列。かつては農地(水田)だったわけで,紅葉山砂丘とは無縁。
花川地区一帯を宅地化するにいたった経緯を記した開発記念碑(碑文)が公園内に建つ。その近くには噴水も。
なお,花畔界隈の田んぼについてはこちら『「花畔」にこだわる旅』をどうぞ!
[追記] 2009.09.18 今年の筏石狩浜海浜植物保護センターのみの設置とか。すっかりカモたちの憩いの場と化していた。
BI
2008.09.06
海浜植生回復のモニタリング調査区。[[ BBに密接に関連 ]]
四輪バギーなどのオフロード車で破壊された石狩砂丘は,はたして蘇生可能なのだろうか。
それを確認するため,石狩浜海浜植物保護センターと北海道大学花卉・緑地計画学研究室とが共同しての調査。対象地区に柵をめぐらしオフロード車の侵入を排除。さらに部分的に砂を埋め戻したり,風防ネットを張ったりして,さまざまな角度からの植生回復データを得ようとしているらしい。
別の場所では,立入禁止地区内に侵入したバギーなどの走行量を終日カウントしている。
しかもこれらの調査は10年間にも及ぶという。
綺麗な花が咲くから保存しようということではない。見ようによっては雑草とも思えるような植生の全体が砂を固定し砂漠化を防いでいる。だから可憐な草花も生育する。そうした海浜の景観を総体として100年,200年後まで守り続けていく必要があるのだろう。
[追記] 2010.09.16 調査開始後3年。車両の侵入を阻止することで,ある程度植生が回復。微かに光明が見える。
BJ
2008.09.22
発寒川遊水池の警報表示装置。(たとえばこんな具合: 1, 2, 3)
南花畔通り,花川通り,新琴似第5横通りと発寒川に囲まれた低地。大雨で発寒川の水位が上がったとき,ここに洪水を逃がして貯めておき,おさまってから川に流す。堤防の一部を低くしてここから洪水が流れ込むようにした越流堤(工事標識)と,貯まった水を流すための樋門(名板),さらに水位測定局(名板)などで構成されている。音声放送とサイレンによる警報装置も2ヶ所にある。
南花畔通りを隔てて隣接する紅南公園の砂丘上から遊水地を眺める。遊水地に水が入る頻度は4年に1度程度と想定(予想図)され,洪水時以外は現状の環境をそのままに守っていくとのことで,草茫々。その中に簡易舗装された小径が作られていて,犬を散歩させていたり,自転車で走ったり(それはワレワレ)している姿がたまに散見される。
ここはまた,紅葉山49号遺跡の発掘現場でもある。発掘調査は1995年(平成7年)に開始され2002年(平成14年)一段落。それを待って越流堤が2005年(平成17年)に完成
49号遺跡の出土品の数々は,砂丘の風資料館で目にすることができる。しかし,ここが49号遺跡の発掘現場であることを示すモニュメントはなぜか一切ない。
花川南公園に設置されている33号遺跡の説明版のように,風化された姿を晒しつづけるのも寂しいものだが。
また,8月末まで行われていた花川南5条橋架け替え工事に伴う遺跡発掘作業では成果は見られたのだろうか?
BK
2008.10.13
浜益川第一頭首工
頭首工とは,河川から農業用水を取水するために設けられた堰である。
この頭首工は浜益川に沿って国道451号を東進すると,黄金山への林道の直前に架かる実田橋の手前で左側に見ることができる。現在の頭首工は2004年(平成16年)完成というだけに新しい。近くに先代の記念碑もあって,1975年(昭和48年)完成とのことである。
第一より下流に第二もある。国道からは,実田浜中橋を渡り浜益温泉を過ぎていくらか進むと右手に見られる
2008.10.29 あらためて浜益川第二頭首工を訪ねた。右岸からと,左岸からそれぞれ近づいて見る。ここからの黄金山の眺望もなかなかに捨てがたい。おりしも浅瀬では,溯上してきたサケたちが産卵に飛び跳ねる姿を観察することができた。
浜益川では例年サケ有効利用調査の名で一定期間登録者に釣獲が認められているが,実田浜中橋より上流では禁止されている。
国道沿いには駐車公園浜益温泉パークゴルフ場老人福祉施設などが整備されている。第二頭首工近辺も親水公園化する計画がかつてあったらしいが進んでいない。
浜益温泉は好きな温泉のひとつだが,10月20日から改修工事のため露天風呂が閉鎖になっていて残念だった。
[追記] 2009.01.22 冬景色の第一頭首工
[追記2] 2009.04.05 リニューアルされた浜益温泉。日曜だったせいか,大混雑。
[追記3] 2009.05.13 厚田川にも頭首工があるのを知って訪れた。道道11号山側に林道上発足線の入口があって,ちょうどその反対側の谷側にある。固定堰で,取水路に小さな水門があるだけ。道道からはほとんど見えない。季節柄水量豊富。近くでは田植え中。欄干のない橋もある。
BL
起点

終点
2009.04.07(更新)
石狩川護岸工事起点」碑(解説) および 「石狩川護岸工事終点」碑(解説)。
茨戸大橋から花畔大橋へ向けて,茨戸川右岸堤防上を進むと出会う。現在の碑は1992年(平成4年)に復元したもの。
1989年(平成1年)作業中に偶然発見された花崗岩づくりの原標は,単床ブロック(ヨーカンブロック)が敷き詰められた台座の中央に埋め込まれて保存されている。
近くにはカワセミ営巣ブロックが設置され,望遠レンズで待ち構える人々の姿も散見される。また堤防上からは花畔大橋を,さまざまな角度で遠望できる。
工事は1916年(大正5年)着手,1917年(大正6年)竣功。蛇行したままの石狩川の流路をそのまま残して柔構造のヨーカンブロックで護岸するという,岡崎文吉の自然主義治水哲学を具現化したものである。
皮肉にも竣功の1917年に,岡崎の哲学とは相反するハードな治水技法(岡崎いうところの「極端主義」)に基づいて,蛇行部を強引に直線化する捷水路(ショートカット)方式が採用され,岡崎の去った1918年(大正7年)から着工される。
1931年(昭和6年)には生振捷水路,1933年には当別捷水路が完成,通水されることにより,茨戸川は石狩川本流から切り離される。
生振捷水路は2002年(平成14年)に土木学会が土木遺産に認定。真勲別川近くの生振8線石狩川堤防上(2007年の看板)に,「石狩川治水発祥の地」碑殉職碑とともに「土木遺産認定」碑が建つ。
(2009.02.21 記)
BM
2008.11.13
カシワの枯れ葉がフワリ。(花畔埠頭前の保安林脇)
不思議といえば不思議な樹である。冬になっても大きな褐色の葉をほとんど落とさない。厳しい風雪から冬芽を護っているのだという。
どの木々も緑に装っている季節,遠目にカシワを見分けるのは難しい。だが真冬には一目瞭然。
砂丘の天然林のみでなく,何気なく周囲を見るだけで石狩には多くのカシワがあることが分かる。
石狩市の木(合併前はナナカマドだった)のいち年を追ってみた。
新芽・・・まだ堅い(4/20),伸びてきた(4/29),開き始める(5/7)
花・・・咲き始めた雄花(5/10),垂れ下がる(5/23),並べてみた目立たない雌花?(6/1)
実・・・まだ殻斗(ぼうし)の中で隠れんぼのドングリ(7/28),青二才のドングリ(9/6),イッチョマエのドングリ(10/12)
落葉・・・ほとんどの樹木が裸木となった時期,雪の上に見る落ち葉もカシワだけだ。
朝陽を受けて輝くカシワ(2008.01.30 石狩放水路水門脇))
カシワを眺めながらの余禄。タラノキよりかなりマイナーかもしれないが,ところによってはハリギリも見つけられる。トゲはコワいがこの新芽も結構いける。美味しい。(堅い芽伸びてきた芽開き始めた芽)
ドングリといえば,去年旅先の伊勢でこんなのを拾った。殻斗が3裂している。スダジイというらしい。
(2009.02.23 記)
BN
2009.04.17
(動くGIF)
かつての厚田油田跡地,無煙浜に浸出する石油
八幡町から望来へと続く海沿いの道路(知津狩川に架かる橋は車両通行禁止)を進むと,無煙浜の崖側に厚田油田の採掘跡が残されている(火気厳禁)。現在はフェンスで囲まれている上に,U字ブロックがかぶせられているのでマンホールを覗くことはできない。
しかしこのあたり一帯は微かに石油の臭いが漂い,原油の滲出で黒ずんだ土地油膜が広がる湿地などが散見される。そうした中にガス,石油の湧き出し現場もある。
近くには旧知津狩川が流れ?水量もそこそこあるのだが,不思議なことにこの川,河口が閉じている。ときどき大きな波が打ち寄せたときにだけ海に繋がる
[追記] 2009.05.10 再訪。少し元気がないかな? これはデストロイヤーだろうか。
[追記2] 2009.06.30 全体にかなり干上がった感じ。ポコポコ湧き出しているが春のような元気はない。
旧知津狩川河口,春には海に直角に近かったのが,砂嘴が長く伸びている。超ミニモデルながら,石狩川河口砂嘴の発達過程を思わせるものがある。
[追記3] 2009.09.14 いくぶん元気回復。近くに転がっているのは大型動物の白骨か?
[追記4] 2011.05.15 この日滲出現場脇に,シカと思われる足跡発見。こんなところを歩いたら,足が油臭くなっただろうに…近くには白花も混じったキショウブが。あるいは,キショウブとセンダイハギが隣接する群落も。
BO
2009.04.17
厚田漁港に隣接する厚田海浜プール。(1年前)
人工海浜である。口を開けば予算がないという行政(この場合は道なのか,開発局なのか?)が,巨費を投じてこんなものを造ったコンセプトが理解できない。海に海を造ってどうする? というのが率直な疑問。天然の海水浴場・厚田ビーチセンターがすぐ近くにあるというのに。ま,新しもの好きの皆さんにはウケるのかもしれないが。
気を取り直して突堤から高台を見上げる。山頂に厚田公園展望台,その右下に見えるのが観光案内所「あいロード夕日の丘」。この翌日がオープンということで中には入れず。真新しい石碑も建てられたばかり(丸文字がちょっとねぇ…)。裏には地図説明文愛称は公募により決定。
去年までこの地にあった駐車場のトイレはひどかったけれど,ここはきわめて快適。多目的トイレも充実している。
夕日の丘の海に面する窓映る夕日と,直接眺める夕日
[追記] 2009.05.06 あいロード夕日の丘オープン後初めて店内を覗く。かけそばが旨かった。
にしん街道・厚田区(解説)が立つ。兄貴分のにしん街道・浜益区(解説)も並べておこう。
ついでに人工海浜も。
[追記2] 2009.06.30 厚田ビーチセンター(上から見る)はオープン直前を控えきれいになっていた
[追記3] 2009.08.01 この夏は海水浴場泣かせの不順な天候続き。久しぶりに晴れ間も出て夏日の土曜日のビーチセンター人工海浜。うーむ,淋しい。
[追記4] 2009.09.20 シルバーウィーク快晴の2日目,夕日の丘にはライダーたちがぞろり。人工海浜の汀線はじわりと後退。砂を掻き出さなくては…
[追記5] 2010.02.13 『石狩冬まつり』の日の人工海浜。厚田公園展望台から。
[追記6] 2010.07.31 人工海浜も形がボヨヨ~ンと変わった(クビレがなくなってきた)。
[追記7] 2011.11.06 夕日の丘の隅に新顔の石碑(漁師の礎 海難慰霊碑)が…(碑文)。それにしても,揮毫はまたまた市長。ま,大臣や国会議員でないだけ少しはマシか。この日の厚田公園展望台からの人工海浜。ここはもともと砂浜ではなかったので,漂砂で埋まる心配はないのだという。
BP
2009.05.06
復旧が始まった増毛山道入口の梯子
幌神社駐車場の崖にかけられている。
梯子を上がるとのっけからきつい登りがありいささかビビるも,その後はさほどの勾配ではなく,ほぼまっすぐな登り道。広く歩きやすく切り拓かれている。保存に動き出された方々の情熱とご苦労に頭が下がる。
のんびり歩いて30分。およそ800mほどで広い道が途絶え,かき分け道風になる。この日はとりあえずここまでで引き返すことに。
旧道は一気に浜益御殿の頂上(1037.8860m)を目指すことになるのだが,いま現在どこまで拓かれているのだろうか。まぁ拓かれたとしても,自分の足腰ではとても無理・・・
登り口からおよそ500mほどのところに一等水準点8457(標高113.5429m, 埋石明治40年7月)が保存されていて,かつては立派な国道であったことが偲ばれる。
の前から幌の町並みを見下ろす。浜益から北ではもっとも大きな集落である。
高台にある幌灯台幌川河口から望む。縞模様は似ているが石狩灯台より風格がある。
[追記] 2009.05.20 市民図書館で増毛山道・特別展示が催されていた。なかでも航空写真は圧巻。先日歩いた部分を含む幌側のごく一部
[追記2] 2009.06.17 増毛町別苅側に立てられている山道入口の史跡標柱。裏面。しかし,実際の山道は藪の中。情けなくも分からなかった。
[追記3] 2009.09.20 再び別苅側。この先2kmほど刈り拓かれたとのこと。しかし立入禁止となっているので断念。
幌側でも神社駐車場に上がる道に鎖が。山道入口周辺にも人が行き来した気配が感じられず淋しい。
BQ
2009.05.10
石狩川右岸河口,およそ500mにわたって湾曲して突き出た導流堤
左岸の砂嘴は北に伸び続け現在の河口先端部(導流堤を遠望)は,1892年(明治25年)に建設された石狩灯台からおよそ1300mも離れている。そこはいま「はまなすの丘公園」。左岸の砂嘴が伸びた分だけ右岸は浸食され続けたということだろう。
海(日本海,石狩湾)からすると,大河・石狩川もちっぽけな流れ。石狩川の流れる力も潮流には抗いがたく押される一方で,年々砂嘴が発達し続けたに違いない。けれど,石狩川のショートカットが推進された昭和初期以降,砂嘴の成長速度は急に鈍くなる。速くなった川の流れの勢いが,潮流に一矢を報いた結果だったのだろうか。
導流堤は1973年(昭和48年)設置。河口の流れを人工的に固定し,また潮流を押し留めることにより,設置以後河口の形状は比較的安定しているという。近年では逆に砂嘴の先端部が痩せてきているようにも思える。石狩湾新港の防波堤,防砂堤などとの相乗効果も無視できないだろう。
導流堤には付け根にフェンスが設置され立入禁止。にもかかわらず10人を越す釣り人たちが乗り越えて糸を垂れていた。高所恐怖症の自分は,安全な砂浜で釣り人の釣果を覗く。スナガレイ?
北石狩衛生センターを背景にトレッキング風景(馬の蹄の跡)が見られた。
少し歩くと石狩川に合流する知津狩川河口に至る。対岸を眺める。ここに設置されている川にせり出した構造物はなんだろう?河口近くの橋を見る。通行禁止にもかかわらず車が走る。大丈夫か? 【1週間後には車両通行不能状態
橋近くの三等三角点「知狩」。ゴミが投棄されていたり,ハマナスのブッシュで守られていたりで,近寄るのにはいささか難儀する。
[リンク] 導流堤と夕陽
もっと詳しくはコチラを。
BR
2009.06.24
(動くGIF)
石狩湾新港中央水路の右岸入口近くで海底から湧き出る水
花畔埠頭側突端,臨港道路・中央花畔線沿い。上から離れて見ても海面を盛り上げるほどに勢いよく水が湧き出ているのが分かる。え!こんなところに温泉の湧出か?釣り人に尋ねても,現象はみんな知っているが,原因となるとみんな知らない。
背後の陸上にフェンスで囲まれた設備があり,蓋に"放流渠"と刻印されたマンホールがある。
ここからは勝手な推測。新港地域の排水処理をしている石狩湾浄化センターでの処理水が,ここで海に放流されているのではないだろうか。
水路対岸・樽川埠頭側,ハマナスプロムナードの突端にあるモニュメントのふたつの円が,花畔埠頭側から見てぴったり重なる地点,あたりである。
脱線。ぼんやり眺めていても,水面の異常現象はそこここで気づかされる。
既出の石狩放水路のエアレーションもそのひとつ。
最近見つけたものでは,五の沢池。春,満々と湛えた静かな水面の岸近くで見えた渦巻き。底に取水用と思われるマンホールも見えるから,もしかしたらピンホールのような亀裂ができているのかもしれない。
BS
2009.10.16
廃墟の石狩展望台。
2003年(平成15年)初夏,両親と番屋の宿に泊まった。翌日,弁天歴史公園を散策した折に展望台からの360度眺望を楽しんだ。そのときの写真がないのが惜しまれる。
それ以外に展望台を身近に感じた記憶は思い出せないでいる。
昨年(2008年)4月,石狩浜海浜植物保護センター弁天歴史公園との間に整備された散策路などを歩いた。
カシワとクマザサの藪の中に,妙な構築物があるのを改めて発見した。石狩展望台だった。
立入禁止だという。踏み分け道をこいで展望台の下までたどり着くことはできた。
そしてこの秋(2009年)も,天井や壁の剥がれ落ちた情けない姿を晒している。
どうやら2006年春から使用禁止にしたらしい。
老朽化して危険であるための措置というのは,それなりに分からないではない。
しかし,案内板もそのままに,すでに4シーズンを経過している。
まさか廃墟を観光の目玉にしようというのでもあるまい。
観光協会(いまここには出張所がない)はいつまで放置しておくつもりなのだろうか。
BT
2009.04.24
はまなすの丘の道しるべ。
遊歩道を木道から管理道路を経て1km弱歩くと東屋に出る。ここを左折して砂嘴を斜めに横断する踏み分け道(中道と呼ぶ)をおよそ400m進んだ先の行き止まり。砂嘴の先端方向付根の方向,振り返って東屋の方向を望む。
2008年11月にはポールのみだったが,2009年4月には赤旗がひらめいていた。日本海に面した狭い砂浜からそそり立つ3mほどの高さの砂丘の崖の上である。河口先端から海沿いに散策してきたときには欠かせない道しるべ。かなり急な崖であるが,通常はここからなんとか上り下りできた。ところが2009年11月,垂直に切り立った壁になっていて,上り下りなどとても無理。荒波の気まぐれで,海辺は日々姿を変えている。
なお道しるべの赤旗は,東屋から左折せずに管理道路を直進した先にも立つ。
【赤旗を見上げる定点観察
2009.04.24, 2009.05.29, 2009.06.25, 2009.07.29, 2009.09.17, 2009.10.10, 2009.11.06, 2009.11.30, 2009.12.25, 2010.01.24, 2010.02.21, 2010.03.18, 2010.03.25, 2010.04.19, 2010.04.24, 2010.05.17, 2010.06.13, 2010.07.31, 2010.09.13, 2010.10.16, 2010.10.28, 2010.11.23, 2010.12.21, 2011.01.24, 2011.02.19, 2011.03.28, 2011.04.12, 2011.05.19, 2011.06.11, 2011.07.03, 2011.07.21, 2011.08.17, 2011.09.19, 2011.10.21, 2011.11.22, 2011.12.21, 2012.01.18, 2012.02.18, 2012.03.16
[リンク] はまなすの丘での遭遇
(2010.01.28 記)
[追記] 2010.02.21崖は激しく侵食されて後退したようだ。目印(道しるべ)の赤旗も忽然と姿を消していた。おそらく日本海の荒波にさらわれてしまったに違いない。目印が失われては"定点観察"もままならない…
[追記2] 2010.03.18 赤旗を発見!中道がふいに途切れる行き止まりに横たえる。植物保護センターで2mおきに打ち込んだという杭は,No.6,7,8を残すのみ。10m以上崖は削られたということか。その分だけ崖下の砂浜が広がったようだ。
[追記3] 2010.03.25 貨物船を座礁させるほどの暴風と波浪が荒れた4日後。ここの崖もさらに侵食されていた。このあたりから砂嘴先端に向かって崖下の砂の堆積が著しい。崖の高さはかつての半分,1.5mほどになった。さらに進むと,段差がほとんど埋まっていたり,すっかり平坦になっていたり。
[追記4] 2010.04.24 4月になると崖の高さはいよいよ低くなり,1mあるかなしか。頑張れば上り下り可能。崖の下にさらに砂が堆積したのだろう。
[追記5] 2010.05.17 植物保護センターで設置した杭の位置からすると,04.19この日とではほとんど変化がない。この1ヶ月間は崖の侵食は止まっているようだ。逆に崖下の堆砂は著しく進んでいる(定点観察の写真参照)。
[追記6] 2010.06.13 この1ヶ月間では,崖の侵食も堆砂もほとんど変化なし。ここから上り下りしている様子もうかがえる。
[追記7] 2010.10.28 相変わらず平穏無事。しかしここから100~200m南西の崖は,この1ヶ月間で著しく侵食された。130mほど離れた地点での09.1310.28では崖は2mほど後退して切り立っている。
[追記8] 2010.12.21 前月までとは様相が一変した。崖の後退は数10cmと思われるが,鋭く垂直に削られて,中道を整備する際に敷いたと思われる薄い砂利の層がくっきり。崖下の堆砂が波にさらわれて崖の高さが120~130cmにもなっている。ここから50~70m南西では崖ギリギリまで波が迫り,崩壊も激しい。
[追記9] 2011.03.28 この冬は年が明けてからの積雪が深く,1月2月の崖はすっかり雪に閉ざされていた。3月,ようやく姿を現した崖は,雪ならぬ堆砂でほとんど上端近くまで覆われていた。12月に顔を出した砂利の層はもはや見えない。この冬最も侵蝕されたここから南西の崖にも,大量の砂が運ばれてきている。
[追記10] 2011.07.21 5月以降崖の形状には変化なし。7/3には崖下にタイヤが置かれていたり,7/15には踏み台が作られていたりして,人為的な改変が見られた。上り下りにはラクではあるが…
[追記11] 2011.10.21 相変わらず崖の形状に目立った変化はないが,崖の下に砂が堆積して踏み台が半分近く埋まっている。その傾向は 2011.10.09 の写真でも現れている。
この夏5/19以降9月末まで,最大風速が7m/sを超した日は9/2(台風12号に伴う前線の影響)の1日だけ。(気象庁のHPより。石狩のアメダス地点=生振)
それに対し9月に入ってからは1,2,7,12,17日とすでに5日観測されていて,いずれも西よりの風。この風が砂を飛ばして崖下に運んだものだろう。(溜まり方からして,波が運んだものとは考えにくい)
[追記12] 2012.02.06 崖から汀線までおよそ20m。そのちょうど中ほどにもうひとつのミニ崖(バーム)が生成されていた。砂の層の厚みは30cm程度,その上に50cmほどの積雪層が被さっている。
[追記13] 2012.02.18 さらに8mほど海側に伸びていた汀線からのミニ崖
BU
2010.04.08
五の沢ダムの洪水吐(こうずいばき)。
知津狩川支流の五の沢川に設置されたダム(春先)。貯水池は通称"五の沢池"。
1930年(昭和5年)完成のアースダム。
五の沢林道の冬期通行止から雪道を歩いてすぐ。池の岸辺は解けていたが,全体にまだ氷の世界。ひと月もするとこんな光景になるのだろうが。
洪水吐はダムの洪水を放流する設備。余水吐とも呼ばれる。
雪解けが徐々に進んでいるためか,水が勢いよく流れ落ちていた。5月になると水は流れない
石狩にはこのほか2つのダムがある。
同じく知津狩川支流の地蔵沢川に設けられた高富ダム。(春先の全景)
高富ダムもアースダムで1930年(昭和5年)の完成だが,2005年(平成17年)防災機能を付加して改修された。
堤頂から春まだ浅い貯水池を望む。振り返ると下流には高岡橋が架かる。
洪水吐には水の流れが。
もうひとつは望来川上流の望来ダム。(春先の全景)
これもアースダムで1997年(平成9年)完成。
貯水池を望む。洪水吐に水が流れている姿はまだ見ていない。
望来川ではやや下流に古色蒼然たる頭首工が見られる。
[追記] 2010.07.17 夏の五の沢ダム。水位が下がって洪水吐は草むら。取水口もかなり露出している。
[追記2] 2011.06.25 この日の五の沢ダムは去年よりさらに水位が下がって10番目の取水口も水面上に露出。毎年8月にはすっかり水が抜かれるのだそうな。去年,ダムの下の五の沢川が合流するあたりの知津狩川ではサケ(ホッチャレ?)の姿も見られたという。
[追記3] 2012.05.09 望来ダムの洪水吐から溢れている光景に初めて接する。放水路を流れる幾何学的水紋
BV
2010.06.07
石狩川右岸,河口間近に流れ込む支流,知津狩川聚富川の河口に設置された構造物。
石狩川の流れの方向に,ほぼ直角にせり出して構築()されている。
左岸砂嘴の岸辺を歩いていて対岸に見えるこれらの突起()はいったいなになのか,ずっと気になっていた。
石狩川河口導流堤と同じように,これらも支流の導流堤として機能しているのだろうか?
たまたま出会った漁師に尋ねてみたこともある。
「カイハツが造ったものだけど,オレラはコーカンと呼んでいる」
と,要領を得ない。
確かに"鋼管"ではある()。
『札幌河川事務所20年史』によると,どうやらこれらは"水制工"と呼ばれるのだそうな。
知津狩川河口のものは"来札水制工",聚富川河口のものは"中村水制工"という。
もっと詳しくはコチラを。
(2010.06.24 記)
BW
2010.09.23
いしかり調整池。(築山からの眺め)
北生振など石狩川下流右岸地域の灌漑用水の貯留施設。2007年(平成19年)3月完工。(概要諸元記念碑)
石狩川を水源とし,北生振用水樋門を介して北6号排水路に導かれた水は,北生振揚水機場汲み上げられ用水路に流される。
しかし取水地点が石狩川河口に近いため,ときに塩分濃度が上昇して農作物に悪影響を及ぼしかねない。そのため石狩川の水を常時調整池に貯留しておく。
川の塩分濃度が設定基準を超えると樋門を閉じる。
同時に調整池取水ゲートを開放,送水路から北6号排水路に流して灌漑用水とする。
潅水期間は5月~8月。8月末には水が抜かれ,干潟状の溜り水にアオサギ,ダイサギ,シギなどの水鳥が憩う。彼女たちがバードウォッチャーを誘う
フェンスには八幡小学校児童の力作によるパネルが並び微笑ましい。周囲は一周約1.6kmの散策路
揚水機場敷地内には,50年間大役を果たしたとされる先代のポンプが保存されている(来歴)。
開田水魂」なる記念碑も立つが,相も変わらず政治屋の名。はなはだ興ざめ。
北8号沿いにはまだ若いサクラ並木。"きたおやふる田園並木通り"の看板のほうが地域住民の心意気を暖かく感じさせる。
[追記] 2011.04.09 調整池はまだほとんど凍っていて水鳥たちの姿はないが,近くの美登位の田んぼでは並んで餌を啄ばむハクチョウたちに出会えた。
[追記2] 2011.05.13 初めて注水中に遭遇。それなりに迫力がある
[追記3] 2011.05.17 依然注水中。水位はかなり上がったが,満水までにはまだまだ。灌漑用水路にも満々と水が流れている。
[追記4] 2011.05.25 この日のいしかり調整池注水はされていなかった。それもそのはず,水位はすでに満杯状態
[追記5] 2011.08.24 すばやい。すでにほとんど水は抜かれて,水鳥たちが戻ってきつつあった。5月にはとうとうと流れていた用水路も,当たり前のように干上がっていた
BX
2011.02.21
(動くGIF)
いわゆる風車のイメージからはほど遠い八幡町の小型風車。夕陽を撮りに行って初めて目に留まる。
去年の12月に完成していたらしいが気づかなかった。
1基で10kWのものが8スパン並んで設置されている。
放水路脇の3基の市民風車たち(1500~1650kW)に比べてもいかにも可愛らしい。
しかしこれらの微弱なパワーをも集めて,なにがなんでも脱原発社会を目指さなければいけないだろう。
夕暮れの風車朝陽を受ける風車。そして対岸,はまなすの丘からの遠景(ズームアップ)。
この日はメンテナンス中ということで動いていなかった。
その後もいつ行っても,せいぜい2基がゆったりと回転しているくらい。
8基揃って元気に廻っている姿にはまだお目にかかっていない。
近くに来札水位観測所がある。(局舎水位測定柱)
石狩川では最も河口に近い(1.6KP)観測所だが,2009年7月以降の観測データは見られない。
(2011.04.23 記)
[追記] 2011.06.25 夏の小型風車。なぜか右側2基の羽根が外されている。残りの風車のうちの4基が気紛れに回転していた。
[追記2] 2011.08.17 この日の石狩川は大雨後の増水にもかかわらず穏やかで,風車の影を映していた。
[追記3] 2012.02.06 凍った対岸から望む冬の石狩川と小型風車
BY
2011.04.24
石狩地域気象観測所。気象庁のいわゆるアメダス(地域気象観測システム)ポイント。
生振に設置されていて,降水量,風向風速,気温,日照時間,積雪の深さが自動的に測定されている。つまるところ,生振の気象が石狩の気象を代表しているというわけだ。(雪の中の1月3月)
すぐ近くに,動物供養塔があるがとくに関係はなさそう。。。
石狩市域のアメダス・ポイントは,ここのほかに,旧厚田村,旧浜益村の計3ヶ所ある。
これらの観測データは気象庁の気象統計情報のページで閲覧可能。
札幌広域圏気象観測システムというものもあるようで,親船墓地駐車場脇に"地上気象観測装置"が設置されている。ここで観測されたデータがどこで閲覧可能なのかは分からない。
そのほか,石狩湾新港東埠頭に開発局の石狩検潮所が設置されている。まわりに漁師たちの道具類が積まれていて雑然。大きな津波にはとても太刀打ちできそうもない。データは気象庁の潮位観測情報のページで見ることができる。
(2011.05.10 記)
BZ
2009.06.17
厚田港朝市公衆トイレの壁のマーメイドのレリーフ(トイレの女神?)。
いかなる因果関係でここに,胸もあらわなマーメイドが捕らわれの身になっているのか,いつも不思議に思う。朝市と背中合わせの人工海浜(厚田漁港海岸)には新しい立派なトイレが設置されたのだから,そろそろ可哀相なマーメイドを解き放ってあげてもいいのではないだろうか。
ところでこの公衆トイレ,バブル真っ只中の1988年(昭和63年),当時の竹下内閣が実施したバラマキ交付金・ふるさと創生基金によって造られたものだという。旧厚田村では"ふるさとトイレ"と称してここのほか3ヶ所でも造られた。
厚田公園ふるさとふれあい広場の整備に伴って造られたトイレ(冬篭り)。
・"厚田村発祥の地"碑,"弁財船投錨地"碑のある古潭集落に造られたトイレ(壁画)。
聚富ミニパークに設置された"聚富開村百周年記念"碑と2階建てトイレ(下が女性用,上が男性用)。
ほかの町村でも1億円トイレとかが話題になったが,この程度の公衆トイレを数ヶ所造った旧厚田村は,ふるさと創生基金1億円の使い方として賢い部類に入るかもしれない。
ちなみに旧浜益村ではふるさと塾ふるさと公園が整備された。石狩市との合併後ふるさと塾は,"適沢コミュニティセンター"となり,さらに"ラバーズ・オーシャン","cafe gull"と,看板も目まぐるしく変っている。
さて旧石狩町では・・・本町地区活性化事業の一環としての温泉開発ボーリング調査などに費やされたようだ。1995年(平成7年),第3セクターによる石狩町保養センター"石狩温泉番屋の湯"として開業。数年間は飛ぶ鳥を落とす勢い(いつ行ってもイモの子洗い状態)だったが,やがて身売り(2006年)して"(えり)の湯"に変わり,そして今また名前だけ"番屋の湯"に戻るという流転を繰り返している。やはり,二匹目の泥鰌を狙った"番屋の宿"(1999年開業)が命取りになったのだろう。
(2011.11.16 記)
[追記] 2012.04.19 浜益"cafe gull"の新しい看板。"ラバーズ・オーシャン"は朽ちて倒れている
CA
2012.04.28
石狩市弁天歴史公園(マップ)にはいしかりガイドボランティア(無料)が常駐している (10:00-16:00; ただし,土,日,祝日のみ)。
弁天歴史公園は,庁舎移転(1993年),市制施行(1996年)に伴い,本町地区再開発事業の一環として,旧石狩医院跡地に2000年(平成12年)9月オープンした。
管理棟はアイヌと和人の交易の場となった運上屋をイメージした建物で,ホールは石狩の歴史をテーマとした展示室となっている(毎日公開)。
●周囲に配置された見どころ・・・
・市制施行記念メモリアル事業として制作されたレリーフ『先人たちの碑
・秩父事件の指導者で石狩に潜伏していた井上伝蔵句碑(俳号・柳蛙)
・再建された旧石狩医院の離れの和室『楽山居』・・・絞り丸太を使った床の間,付け書院,扇画を張られた欄間,雪見障子など意匠を尽くした造りの内部,そして石の庭大雪山・石狩川・日本海がモチーフとされ,の石組,砂盛(向月台?),舟石水琴窟織部灯篭などがあしらわれている。
開町100年記念鮭供養之碑
太郎代天曝観音西国三十三箇所霊場
・300年以上の歴史を持つ石狩弁天社・・・内陣の主神は弁財天,左に稲荷大明神ほか,そして右に石狩固有の神様・妙鮫法亀大明神(サメさま)ほか。本殿には奉納された絵馬額鰐口など。拝殿の外には礼拝器(手水鉢),灯篭,北千島沖流網之碑 など。(朝陽を受ける冬の弁天社)
●弁天歴史公園前を通る曲がりくねった弁天歴史通り沿いの見どころ・・・
・石狩温泉 番屋の湯
ホテル番屋の湯(休館中)
いしかり砂丘の風資料館
・復元された石造の旧長野商店
・曹洞宗曹源寺
・浄土宗法性寺
石狩八幡神社(石鳥居は弁天社旧蔵品)
●やや離れるが・・・
・私設資料館『石狩尚古社
・妙見堂に妙鮫法亀善神が祀られている日蓮宗金龍寺
石狩河口渡船場跡 (対岸八幡町側標識)
・本郷新制作による石狩開拓者慰霊碑・ブロンズ像『無辜の民
・海浜植物のタネも無料配布されている石狩浜海浜植物保護センター(展望台もある)
●歩いていくと少し遠い(1km以上)けれど・・・
はまなすの丘公園・・・木道散策,石狩灯台,ヴィジターセンター,石狩川河口の碑 など
(2012.05.04 記)

なにを隠そう,今年(2012年)から新米ガイドボランティアとしてデピューいたします。
ガイドのお問い合わせは,石狩観光協会へ。



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