先代は1952年(昭和27年)完成の曲弦ワーレン・トラス橋。
石狩川の新築堤完成,あるいは重量に耐えられないといったことから,2代目の現橋に架け替えられた。
親柱がユニーク。両側の市,町にちなんだデザインで作成されている。
河川敷に河畔林が生い茂り,堤防の上からでも遠景写真を撮ることが難しい。
1946年(昭和21年),下徳富渡船場で死者行方不明者の多数出る転覆事故が起きる。
周辺住民にとって石狩川の架橋は切実な願いだったようだ。
請願のすえ先代の橋がようやく着工されたのは1950年(昭和25年)である。
1952年(昭和27年)の完成とともに,1889年(明治22年)から続いた下徳富渡船場も廃止された。
1969年(昭和44年)には橋の下流域で最後(29番目)の捷水路として砂川新水路が完成した。
1918年(大正7年)生振捷水路が着工されて以来ようやく現在の石狩川の流路が固定された。

2008.09.17 |

2008.09.17 |

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2009.08.14 |

2009.08.14 |

2009.08.14 |
砂川側では堤防に北光公園が隣接。
さらにオアシスパーク(砂川遊水地)も近い。
遊水地に注ぐパンケ歌志内川には,お城のような水門(パンケ歌志内川水門・諸元)があったり,架かっているオアシス橋の高欄にはパネルがみられたりでおもしろい。
"パンケ(下の)"があれば"ペンケ(上の)"もあるでしょう の巻 (2009.08.14, 2009.09.13)
パンケ歌志内川水門からいくらか離れて,対のように立つ樋門が気になっていた。
そうです,これがそのものずばり,ペンケ歌志内川樋門。
ただし砂川遊水池のHPでは,この川はペンケスナ川と表記されている。
ペンケ歌志内川も河川改修のせいでなにやらややこしい。
北光公園の北で石狩川に直接流入するが,合流点近くには緑蔭橋が架かる。
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