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石狩灯台マニアA   石狩灯台七変化

2017.09.30 公開
2023.04.13 更新

1892(明治25)年1月1日初点の石狩灯台は,16年後の1908(明治41)年1月1日に木造六角形から鉄造円形に改築された。
構造上の大きな変化はそれだけである。
構造的には変わらずとも,見た目が大きく変わったのは1957(昭和32)年。
白一色だった円形灯台が,赤白縞模様に塗り替えられた。
60年後の今年,2017(平成29)年9月再塗装されたが赤白縞模様であることは変わらない。
しかしこの間何度か塗り直されている。
そのたびに縞模様が微妙に変化したりしているのだ。
それをしつこく調べてみたのがこのページだ。

おことわり

【花畔・網】ではすべてのページを自分自身が撮った写真で構成する,というのが私のスタンスです。
(ごく一部,そうではない借り物の写真もつかわせていただいてはいますが・・・)
しかしながらこのページは他のページとは異なり,時代考証的要素で成立することになります。
私自身が撮った写真はたかだか最近十数年のものでしかありません。
それ以前の写真などはすべて借り物,すなわち転載ということで構成せざるを得ません。
すべての写真について出典(参照元)をきっちりと明示することにより,もとネタの使用についての許諾を得ることを省略しています。
この点について問題がおありでしたら下のメールフォーム使ってお知らせ下さい。
直ちに対処させていただきます。   メールフォーム

時代区分 F+ の挿入について

石狩浜海浜植物保護センターに阿部義孝氏による写真集『ハマナスと石狩燈台』が保管されていることを教わりました。
阿部義孝氏といえば,ボランティアとして海浜植物保護に30年近く尽力され,2014年には自然環境功労者に贈られる環境大臣表彰を受けられています。昨年亡くなられましたが私たちにとってはまさにお馴染みのお爺ちゃんでした。
写真集は1983(昭和58)年から2005(平成17)年に及ぶもので,貴重な写真満載です。(撮影年代から阿部義孝氏が退職後石狩に移住してからの撮影と考えられます。)
今回その中から,石狩灯台の節目に関わる9枚の写真をこのページに転載させていただけることになりました。

ここでの時代区分は,E,F,G の中に分類されます。
D の項目の注釈に,”1997(平成9)年 巻きつけコンクリートを剥す”と記述しています。これは間違いのないことです。
ならば,FからGへと変わる1,2年の間に,なんらかの外見上の変化がなかったのか,かねがね気になっていました。
その点が,阿部義孝さんの写真でほぼ解決しました。
結論からいえば,1997年には構造的にも,そして外見的にはきわめてマイナーながら変化があったということです。
で,困っちゃったので,この2年にも満たない期間を F+ として新たに挿入することにしました。

なお,阿部義孝氏の写真にはすべて説明欄にを記入してあります。
(2018.09.20)

時代区分 C+ の挿入について

このほど石狩浜海浜植物保護センターに,「阿部さんより」とされる阿部義孝氏による別の写真集が保存されていることを知りました。花の時期,そして実の時期に,石狩灯台を背景としてハマナスを撮った写真集です。阿部氏にとって主役はあくまでもハマナスなのですが,石狩灯台もしっかり写っています。
ほとんどが砂丘側からハマナスを撮った写真で,背後には緑色の屋根の職員宿舎が2棟並んで石狩灯台の右側に隣接しています。

時代区分は C で,塔頂部は白,赤縞4本です。ところが阿部氏の写真を含めてよく見ると一番上の赤い部分が,ある時期を境に微妙に異なることが分かりました。
職員宿舎のある時代は回廊の上にも白縞部分があるのに対し,職員宿舎の撤去後には回廊の上はすべて赤く塗装されていて,必然的に一番上の赤縞の幅が広くなっています。

この塗り替えが行われた年は正確には特定できていませんが,おそらく無人化=職員宿舎撤去とほぼ同時期に行われたものと推測されます。ということで今回,無人化以後を C+ として分離挿入することにしました。
画像のアルファペット番号は変えることなく,C 及び C+ あわせての通し番号とします。

時代区分とは関係のない話になりますが,今回の阿部氏の写真は灯台無人化前ですから 1965(昭和40)年以前のものです。
ということは,阿部氏の40歳未満の頃の撮影と考えられ,それもひとつの驚きです。
阿部氏は定年退職後夕張から石狩に移住されたということですが,在職中の青年時代?から石狩浜に並々ならぬ関心を寄せられていたということを改めて教えられた次第です。

なお,阿部義孝氏の写真にはすべて説明欄にを記入してあります。
(2019.11.08)

A 1892(明治25)年 初点 木造六角形,黒白横線塗り

a
a いしかり砂丘の風資料館紀要 第3巻 『明治30年に撮影された石狩市関係写真』
B 1908(明治41)年 改造 鉄造円形,白色

a
b c d e
f

g
a 北海道樺太南部沿岸水路誌 第1巻 昭和3年10月発行
b 小樽光明堂 絵葉書
c アンティーク絵葉書専門店 ポケットブックス http://www.pocketbooks-japan.com/
d 「21世紀に伝える写真集」 石狩市教委 昭和初期
e 石狩茨戸案内 (観光案内パンフレット) 札幌軌道株式会社 (注) 昭和10年以前のものと思われる
f ヴィジターセンター掲示 青木隆氏撮影 昭和28年頃
g 函館市中央図書館デジタル資料館-絵葉書 http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/index/postcards (注) 塀の外の砂の堆積状況からすると a よりもかなり後と思われる
C 1957(昭和32)年 改修 映画撮影を機に赤白縞模様に
a
b

h

i
a 映画「喜びも悲しみも幾歳月」のスチール写真
b 拝啓活動写真様 http://katsudo.exblog.jp/18658381/ (注) 映画の1シーンのコピーと思われる
h 田中實氏所蔵 航空写真 (注) 職員宿舎(屋根は緑色だったんだね)が写っているので1965年以前と思われる
i 海浜植物保護センター所蔵 「阿部さんより」とされる写真集 (注) 緑色の屋根の職員宿舎が写っている。トリミング加工済み。
C+ 1965(昭和40)年 無人化改修 赤白縞模様に
1965年 無人化に伴って職員宿舎撤去
c d
e

f

g
c 「海の詩画集 (2)」 渋井一夫 "49 『石狩灯台(冬)』 1966年" (注) 無人化後だろう
d Sapporo Photo Live http://www.splive.co.jp/ 作品タイトル "昭和44年 石狩灯台" (注) 職員宿舎撤去後間もなくの頃なのだろう。残された宿舎の基礎コンクリートが生々しい
e 石狩町勢要覧 1975年版 (注) 八幡町からの灯台。堤防はまだできていない。かなり窪地に立っているようだ
f 「石狩」 石狩支庁 昭和53年3月発行 (注) 1975年以前に撮影されたものと思われる
g 「海の詩集 第4詩集」 渋井一夫 "『砂丘にて』 油彩 1974年"
D 1975(昭和50)年 改修 コンクリート巻きつけ補強
回廊から下の赤縞は2本。灯室から上はすべて赤
1997(平成9)年 巻きつけコンクリートを剥す

a
a 石狩町勢要覧 1979年版 (注) 町勢要覧 1981年版 も同じ日の写真と思われる
E 1980(昭和55)年 改修 軽微。灯室裏の遮蔽板が白くなって赤縞4本となる

a

b

c
d e
f

g

h

i

d'
a 石狩町勢要覧 1985年版 (注) 町勢要覧 1987年版もまったく同じ写真
b 石狩町勢要覧 1989年版 (注) 町勢要覧 1995年版もまったく同じ写真
c JAFナビ http://jafnavi.jp/web/r1/011110575.html (注) 2017.06.10 のコース案内に参照されているが・・・
木道が見えるので,はまなすの丘公園が造成された1991年のハマナスの盛りの頃(初夏)の写真だろう。
d 「いしかりの四季(A) エッセイ集」 渋井一夫 "『春も峠(石狩灯台)』 油彩 1992年"
e 「大野一雄 石狩の鼻曲り 石狩川河口公演記録集」 かりん舎
<最初 Web (http://kwarinsha.cart.fc2.com/ca1/10/) から転載したが画像が不鮮明だったので本から転載し直す>
右岸河口・第一号水制より僅か50m足らず下流に木杭の水制遺構がある。1991年9月15日,その川岸に特設舞台を造り,函館出身の舞踏家大野一雄(2010年没)による一回限りの公演が行われたという(私はまったく知らなかった。先日市民図書館でこの本を手にして驚いた)。この本の中の1枚の写真で,対岸に石狩灯台が写っている。モノクロながら赤縞4本が確認できる。公演当日(9/15)の時点ではFではなくEであったことがわかる。
もう1枚の写真に灯台とヴィジターセンターが並んで写っている(トリミング処理済)。ここで注目すべきは,灯台ではなく隣のヴィジターセンター。ヴィジターセンターも含めはまなすの丘公園はこの年の10月10日完成ということなのだが,この写真のヴィジターセンターは明らかにまだ壁ができていないし工事の足場も組まれたままである。
川の中に黒々と横たわるのは第一号水制とひっかかった流木。ほぼ似たアングルの昨日(2017.10.22)の写真
f 1983.06.17 - 阿部氏写真集の最初の灯台の写真。左岸築堤が灯台脇まで伸びた直後の頃と思われる。
g 1991.05.06 - はまなすの丘公園造成工事の最中。真新しい木道がベージュの絨緞のように伸びている。
h 1991.08.28 - はまなすの丘公園完成間近。公園の標柱や案内図の位置が微妙に動いているのは何故?
i 石狩市郷土研究会 坂東忠明氏撮影 (ガイドボランティアの会白畠氏により発掘され提供を受ける)
1981年4月撮影とされているのでおそらく1980年も同じ姿だったのだろう。
DからEにかけての時代区分の中で灯ろうの屋根の塗装が白というのは極めて奇異である。この謎はいずれ解明せねば。
d' 2021年までヴィジターセンター掲示,2022年4月石狩市公民館における「渋井一夫回想展」にて掲示。
画像は石狩市公民館オープン記念「渋井一夫 作品カレンダー」からコピー。
dとほとんど同じ構図なので同時期の作品に違いない。
F 1991(平成3)年 改修  塗り直し 〜 赤縞は4本から2本へ
(秋,石狩灯台百年を記念して。歌碑も建立)

a

c

d

e

f
a ふるさといしかり 1994年3月31日 発行 (イラストマップ)
c 「21世紀に伝える写真集」 石狩市教委 "記念碑の除幕" 1991年
d 1991.10.10 - はまなすの丘公園完成と,石狩灯台百年記念の日。歌碑はまだブルーシートを被っている。
e 1991.11.28 - 歌碑はお披露目済み。この角度から見た灯台の位置は現在とは異なるはず。
f 2018.09.21 e と同じアングルで撮ってみた。灯台位置がかなり移動していることがわかる。
2018.09.26 アングルが微妙にずれていたので再度撮りなおして画像差し替え。
さらに ef とを直接比較できる画像を用意。コチラをぜひご覧ください
F+ 1997(平成9)年 改修 巻きつけコンクリートを剥す
最初の鉄壁に戻るが,耐震強度が不足と判明
a
b
c d e
a 1997.04.03 - コンクリートを剥し元の鉄壁を塗装し直した直後と考えられる。回廊を支えるブラケット部の覆いがない。
b 1998.09.20 - 塗装し直して1年半なのに相当の錆。すでにまわりの植生が刈りはらわれ,移設工事の準備段階と思われる。
c 既設位置
海保の灯台移設資料をガイドボランティアの会の安田秀司氏から提供された。
既設位置から移設位置へ,クレーンで移動される様子が分かる。
正確な撮影日時は不詳だが,b から e への変化の途中であることは確か。
c の位置から d の位置への移設距離は約15mである。
頂部の灯ろうや回廊は取り外されている。
さらにまた,c の画像の右奥に見えているのは工事中の仮設灯台と思われる。
d 移設位置
e 1998.11.28 - 移設工事の真っ只中。灯台本体はすでに新しい位置に移設され,付帯工事(厚さ6mmの鉄板に厚さ9mmの鉄板を重ね巻にするなど)の最中。このあと再塗装され年明け1/11,点灯される。
G 1999(平成11)年 移設改修 工事は F+ 参照。1999.01.11 移設完了再点灯
鉄造外壁2層に補強。回廊を支えるブラケット部の覆いがなくなる外観(塗装)は F+ と同一

a

b

c

d

e
a 石狩町勢要覧 1999年版
b 2007.09.22 物心ついて(=【花畔・網】を始めて)自分が最初に撮った石狩灯台の写真。この日灯台が一般公開されていた。
c 2017.06.01 改修工事直前のうしろ姿。ややピンボケながら,かなり錆が浮き出ていることがわかる。
d 1999.04.11 - 再点灯後3ヶ月。まだピカピカ。
e 1999.04.11 田中實氏撮影。倒壊直前の石狩川口灯台。それだけでも極めて貴重な写真だが,その上対岸(左岸)の遠景にとても小さいながら移設改修後の石狩灯台も写っている(右上隅に拡大処理)。石狩灯台と石狩川口灯台とが同時におさまっているツーショット画像は,その意味でも稀少,かつ貴重なものといえるだろう。
さらに,ひとつ前の阿部義孝氏による d の画像と撮影日が奇しくも同一である。阿部氏は昨2017年亡くなられたとはいえ,田中氏とほぼ同年輩。石狩をこよなく愛するおふたりの70才台同一日の撮影画像というのも得難い。
H 2017(平成29)年 改修 工事は6月から9月にかけて行われ,9/16にはほぼ完了した。
外観(赤白縞模様のパターン)はまったく変わっていない。

a

b
a 2017.09.16 改修工事終了直後。下から見上げる。ピカピカだ。
b 2018.09.23 一般公開 (灯台150周年,第55回石狩さけまつり)

2017.10.17-21,石狩市民図書館で灯台模型のペーパークラフト展が催された。
石狩灯台については5種類の姿が再現された。
作者・山本雅春氏の承諾を得たので,参考のためにここでも表示したい。

勢揃い

A

B

C

E

G

街角で見つけた石狩灯台

石狩市内を歩いていると,そこここに”石狩灯台”が悠然と屹立していることに気がつく。
石狩灯台マニアとしては,放っておくわけにはいかないではないか。
どうやらそれほどたくさんあるわけでもなさそうなので,代表的なものを拾い集めてみることにしたのがこのページ。
スタート時点では2ヶだけなので,七変化ページに間借りすることにした。
なお時代区分は七変化の表の A から H に基づいている。
ほかにもお気づきのものがあったらお知らせ下さい。
(2017.12.25)
1 カントリーサイン 時代区分 F

2009.06.23

2009.04.05

2018.01.09

2008.06.03

2018.04.02
国道231号 国道231号 国道337号 国道337号 国道451号
緑苑台東(茨戸) 浜益区雄冬 新港西 生振 浜益区御料地
札幌市北区 増毛町 小樽市 札幌市北区 当別町

2008.09.20

2008.08.30

2018.01.09

2007.09.02

2018.01.10

2018.01.09

2018.01.09
道11号 道44号 道道81号 道道225号 道道273号 道道508号 道道527号
月形厚田線 石狩手稲線 岩見沢石狩線 小樽石狩線 花畔札幌線 矢臼場札幌線 望来当別線
厚田区別狩 樽川(花川南) 北生振 新港西 緑苑台東?(茨戸) 生振(茨戸) 八幡町高岡地蔵沢
当別町 札幌市手稲区 当別町 小樽市 札幌市北区 札幌市北区 当別町
カントリーサインは国道の市町村境界に設置して市町村名を知らせる市町村案内標識に,市町村のシンボルマーク標示を一体化させたもので,開発局が設置している。
石狩市の図柄は,ハマナスと新港(北防波堤北灯台もくっきり)に入港する貨物船とカモメ?そして云わずと知れた石狩灯台。
緑が陸地で灯台に向かって伸びているのは河口砂嘴(砂丘草原)なのだろうか。
では点々は砂浜?
カントリーサインは国道だけかと思っていた。
市町村にまたがる道道にも設置されていることに気づいて,慌てて写真を撮りに走った。
こんなことで慌てる必要はまったくないのにね・・・
まだ,撮り残しもありますが。 (2018.01.09)

道道273号の石狩市のランドマークは茨戸橋たもと伏籠川の右岸に立っている。いろいろ調べてみてもここは札幌市域。どうして?
もうひとつ,道道865号・樽川篠路線では石狩市の市名案内標識はあるがカントリーサインはない。 (2018.01.10)

おそらくただ一つ未収録だった国道451号のカントリーサイン。
好天の4/2浜益まで遠征してゲット。これで全部揃ったはず。
しかしこうしてみると,背中合わせに設置されている隣町のカントリーサインが不揃いなのが気になる。 (2018.04.03)

灯台の絵は灯台の絵として,カントリーサインを表示するならやはり,合併前の旧・厚田村,旧・浜益村のカントリーサインも欲しい。
と思っていたら,道の駅のあいろーど厚田で3種類のカントリーサインマグネットが売られていた(1枚270円)。
また,隣町のカントリーサインとして,札幌市,小樽市のそれぞれ2ヶ所を入手したので貼り付ける。 (2018.07.19)
2 茨戸川多目的ふれあい護岸のレリーフ 時代区分 E

2011.11.11

2017.12.24
茨戸川の多目的ふれあい護岸にはシンボル的存在としてミニ展望台が設置されている。
その側面にはハマナスや鮭漁とともに石狩灯台が描かれている。
ふれあい護岸が完成したのは1993(平成5)年5月だから F に改修されていたはずなのだが,描かれているのは回廊から上も赤い E
その時点での石狩町勢要覧の写真に倣ったのだろう。
けど,回廊の直下も赤く,回廊から上の灯塔が細くなっていたりして,微笑ましい。
3 石狩河口パークゴルフ場の案内看板 時代区分 G

2017.10.19

2015.06.29
石狩河口パークゴルフ場は,石狩河口橋下流の石狩川左岸河川敷にあり,ヤウスバ運動公園(野球場,多目的広場)に隣接
北海道開発局の直轄事業として整備された河川敷に,石狩市によりパークゴルフ場が開設され2003(平成15)年にオープン。
案内看板の左上隅にハマナスと,番屋の湯と思われる建物とともに描かれている。
看板の右上には石狩河口橋,そして石狩川にはサケが遡上する。。
4 マウニの丘の案内看板 時代区分 G

2018.03.25

2018.03.25
石狩市の本町地区中心部。観光センターの筋向いに立つ,まさに街角の石狩灯台。
道道225号・小樽石狩線を北に向かって走っていると,左側に厭でも目に入る。
厭でもとかいいながら,いつこんなデッカイ看板が立ったのか,その時期については定かではない。
多くの場合こういう絵はデフォルメされがちだが,意外と写実的。2本の赤縞の幅が違っているくらいか。
写真を撮っていたら,この人たちに睨まれた。
(2019.05.16 看板が外されていた)
(2019.11.08 いつの間にか,マウニの丘自身の壁に移設されているのに気づいた)
5 ご近所灯台

2021.05.16

2021.05.16

2022.05.08

2022.05.08

2023.04.12(new)

2023.04.12(new)
ふらふら散歩していて,ご近所さんの庭(玄関前)に屹立している石狩灯台が目にとまる。
岬の岩盤の上に立ち,その先に砂利と石とでイメージされているのであろう海原が続く。凝った造りだ。
どことなく枯山水。普通ならここには石灯籠が鎮座しているところであろう。
そこに石狩灯台が立つ。相当強い思い入れがあるのかもしれない。
いつから造られていたのだろうか?すぐ近くなのに今までまったく気がつかなかった。
暗くなったら灯光を放つのだろうか。敷地内に入るのは憚られるので,素材を知ることもできていない。 (2021.05.17)
年が明けると,灯台下に船が浮いていた。しかも,船まで紅白に塗り分けて凝っている。
小型沿岸捕鯨のキャッチャーボートをイメージしているのだろうか。(2022.05.25)
コロナ禍で4年目の年が明け,気がついたら木造船がまた一隻増えていた。これもまた,捕鯨船なのだろうか?(2023.04.13)



石狩灯台関連ページ