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まぼろしの橋 札幌市北区
人道木造橋 m 完成


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2010.11.26 公開
2016.04.29 更新


現在でも国土地理院の地形図にしっかりと記載されているにもかかわらず,実は遠の昔から存在しないまぼろしの橋。

下図は国土地理院による電子国土ポータルで作成したもの。
いずれこの橋の存在は地図上からも消滅するに違いないが,2010.11.26現在,地図の上では存在している。

(蛇足ながら,コープさっぽろで発行している「札幌市街図カレンダー」を見ると,2009年版まではこの橋が記載されているが,2010年版になってようやく姿を消している)
[「札幌市街図カレンダー」蛇足の追加 2012.01.02]
実は2011年版のカレンダーは貰いそびれた。昼前にいしかり店に行ったのだがすでに配布完了していたのだ。
去年の日記を読み返すと,かなりハラを立てている。我ながら,いかにもタンパラな年寄りであることだ。
さて悔しい思いを学習済みの今年は,10時の開店めがけて突進し,2012年版を首尾よく手に入れることができた。
緑や黄色など色彩豊かで,美しいカレンダーに変身している。
ところが,2010年版で姿を消したはずのまぼろしの橋が,なんと2012年版では復活しているではないか!
さすがにマボロシ。一筋縄にはいかない。
2011年版ではどうだったのだろうか???

[2015.08.05現在,地理院地図では綺麗に消えていますが,コープさっぽろの2015年版地図カレンダーでは橋がまだしっかりと見えます!]



(A) 観音橋
(B) パラト中島橋
(C) 茨戸橋
(伏籠川)


2008.02.09
観音橋から,かつて"まぼろしの橋"が架かっていたであろう方向を望む。

かつてこのあたりが,北海道中央バスが経営する遊園地「茨戸園」と呼ばれていたころ,ゴーカート乗り場などが設置された中島に渡る架け橋だった。
茨戸園は1986年(昭和61年)廃止。
その後,1988年(昭和63年),ソフィア中村グループが「札幌テルメ」を開業。
1998年「札幌テルメ」破綻閉鎖後,2002年(平成14年)にシャトレーゼが引き継いで「ガトーキングダム」を開業。
バブルに踊った時期と,その後の出口の見えない不況期の中で,この橋もいつしか忘れ去られることになった。

ガトーキングダム入口の中央バス停の名前はしばらくの間「茨戸園」のままだったが,2007年になって「東茨戸2-1」に変更されたとか。

1993年(平成5年),北海道開発局石狩川開発建設部札幌河川事務所発行による『札幌河川事務所20年史 1972〜1992』の中で,懐かしいこの橋の写真を見つけて嬉しくなった。



私自身,この橋がかつて存在していたことすら記憶の中で朦朧としてしまっているありさま。
橋の名前もわからない。テルメ時代に撤去されたという情報もあるが,いつ架けられて,いつ取り壊されたのかもわからない。

2015.08.05 『北海道中央バス40年史』グラビアより写真追加




この橋の写真,あるいはこの橋にまつわる情報などがありましたらお寄せください

中央バス茨戸園パンフ
[北海道中央バスファンクラブ - バスコレクション収載]
28.旅人宿を営む人も
[札幌市北区役所ホームページ(みてきて北区) - 歴史と文化 - エピソード・北区 - 川と並木 収載]

2016.04.28 補注 【石狩町と札幌市との境界】

このまぼろしの橋が架かっていた茨戸川の中洲は札幌市域内にあり「東茨戸緑地広場パークゴルフ場」として親しまれている。
現在はパラト中島橋で渡ることができるから中洲の名も”パラト中島”なのかというとどうやらそうでもなく,中洲そのものは固有の名を持たないようだ。

ところでこの中洲を 1/50,000地形図「札幌」で見ると,1930(昭和5)年(6/25)発行では見当たらないのだが,1937(昭和12)年(5/25)発行では現れる。
観音橋と締切堤防工事と関連した遊園地化構想に基づいて中洲化されたものと思われる。

いままで気づかずにいたのだが,石狩町と札幌市との境界がかつてはこの中洲の上に設定されていて,中洲のおよそ1/3は石狩町の町域だったということを聞かされた。(田中實氏より)

あらためて 1/25,000地形図「札幌北部」で調べてみた。
確かに1968(昭和43)年(3/30)発行までは境界は中洲の上に引かれている。
しかし,翌1969(昭和44)年(5/30)発行では境界線は中洲から外れて北の茨戸川の上に引かれていて,中洲はすべて札幌市域に属している。

地形図に実際の変更が反映されるのには時間遅れを伴うことがよくあることなのだが(このまぼろしの橋自身の記載もその好例である),1969年以前に町と市の境界線が引き直されたのは確かである。

なおまぼろしの橋が地形図に現れるのは,1966(昭和41)年(2/28)発行の 1/50,000「札幌」が最初である。
1980年代末には札幌テルメ開業に伴って撤去されたものと思われるが,最新の 1/25,000地形図「札幌北部」2006(平成18)年(9/1)発行ではしっかりと架けられ続けていることになっている。



茨戸川の橋+