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発寒川の橋+(プラス)

2016.01.08 公開
2019.12.23 更新



私の住まいからいちばん近い川は,石狩川でもなく茨戸川でもなく,実は発寒川である。
発寒川には右岸に自転車道が整備されていることもあって,きまぐれに散策,いや,徘徊する。
冬の早朝,雪堆積場の頂から望む川筋,そして川面に憩う鳥たち・・・(朝陽けあらしダイサギカモ)

当たり前のことだが発寒川にも橋が架かっている。
橋を見れば無性に写真を撮りたくなる私。
いつの間にかたくさん溜まってしまった。


  2016.01.08

原始の発寒川は手稲山南斜面を源流とし,北東斜面から流れ出る追分川などと合流して,茨戸の近くで伏篭川と合わさって石狩川(現・茨戸川)に流れ出ていた。星置川のように直接石狩湾に注ぎ出ることができなかったのは,紅葉山砂丘によって阻止されたからだろう。
紅葉山砂丘が現れる前の縄文海進最盛期には,石狩川,豊平川などとは独立した河川としてそれぞれ別個に古石狩湾に流れ出ていたに違いない。

やがて海退が始まり,各河川が運んでくる土砂により埋め立てられて古石狩湾の陸化が進み,同時に紅葉山砂丘も成立する。各河川も海へ向かって伸び進んでいくのだが,そこに立ちはだかったのが紅葉山砂丘だった。

紅葉山砂丘にぶつかって追分川と合流した発寒川は,前田,花畔側から砂丘の南側に沿って北東に流れ出口を探す。
一方同様に石狩川は美登位,生振側から南西に向かってくる。そして茨戸のあたりで伏篭川を含めてぶつかる。

ひとくくりで紅葉山砂丘といっても,もともとは手稲山から伸びてきた砂州と,石狩丘陵から伸びてきた砂州とが繋がったような構造らしい。その接合部がいくらかずれていたり弱かったりして,茨戸の近くが紅葉山砂丘からの石狩川の出口になったのだろう。

発寒川右岸側は低湿地でヒトが住める環境にはなかったが,左岸沿いの紅葉山砂丘には縄文時代前期(約5000年前)以降の遺跡が数多く発見されている。おそらく当時からおびただしいサケの群れが遡上し,人々の暮しを支えていたのだろう。江戸時代にはイシカリ十三場所のひとつの交易所として,ハッシャブ場所も置かれている。

明治29年製版の5万分の1地形図を見ると,先に紅葉山に沿って流れてきた追分川と,湿地を北上してきた発寒川とが合流する形になっていて,その合流点に”モリ”という地名が見られる。かつてこのあたりに集落があったのだろう。古くは続縄文時代(約2000年前)の墳墓遺跡・紅葉山33号遺跡(花川南公園)がすぐ近くにあり,また江戸時代のハッシャブ場所もこの近辺だったのではないだろうか。現在では新琴似6番通が突き当る横井橋が架かるあたりであろう。

ところで1887(明治20)年,新川(琴似川と小樽内川を直線的に結ぶ大排水)が開削されることにより,発寒川も追分川も上/下流が分断される。豊かな水源をもつ上流部の流れはすべて新川に注がれ,下流部はまともな水源をもたないほとんど排水路と化す。上流部が”琴似発寒川”,下流部が”発寒川”と呼ばれることになるが,発寒川と追分川との合流点から発寒川の上流(新川まで)は現在跡形もなく消えている。発寒川の名で残っている合流点から上の部分は,もともとは追分川の下流部なのである。

さらにややこしいのは,発寒川の流路は新川から伏篭川までなのだが,この間すべて同じ方向への流れにはなっていないことである。花川南中に隣接してゴルフセンターがあるが,ほぼその裏手あたりが分水嶺となって,北側は北に流れて伏篭川に注ぎ,南側は南に流れて新川支流の西新川(新川通沿いの人工小河川)に注ぐ。

したがって厳密には分水嶺より北側が一級河川石狩川水系発寒川であり,南側は二級河川新川水系発寒古川とされる。

1893(明治26)年,軽川,花畔,生振各原野の殖民区画測設が実施される。それに基づき,1898(明治31)年,軽川原野に引かれた3線(樽川3線,現・前田通)を石狩と札幌の郡界とされた。3線と交わる点から伏篭川との合流点までの発寒川は(それ以前から),ずっと石狩と札幌との境界であり続ける。かつて発寒川も(石狩川のそれとは比較にならないほど)小刻みながらはげしく蛇行していたため,現在でも両市の市界は当時の流路を彷彿とさせるようにうねうねしている。

昭和30年代(紅葉橋近辺では昭和10年ころ)から発寒川を直線化する流路改修がなされたため,かつての蛇行はいくつか散在する河跡沼で偲ばれるくらいである。また,伏篭川総合治水対策事業(昭和54〜63年)の一環として築堤工事も施行され,右岸堤防上にはサイクリングロードが整備されている。

橋は発寒川に9本,発寒古川に4本架かっている。流路が直線化された現在厳密には異なる面もあるが,発寒川に架かる橋はいずれも左岸・石狩市と右岸・札幌市とを結ぶものである。発寒古川の橋はすべて札幌市の市域内にある。
樽川4線(新琴似4番通/西5丁目樽川通/道道865号樽川篠路線)も発寒川と交わるが,発寒川はすでに狭小で暗渠化しているものと思われる(橋は架かっていない)。
そのほか,屯田川,新琴似川などの支流の(発寒川にかなり近い)一部の橋(札幌市域内であるが)も付け加えることにした。
ただしここでは琴似発寒川は扱わない。

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